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過去の記事一覧
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人から押しつけられた意見よりも、自分で思いついた意見のほうを、我々ははるかに大切にするものである。とすると、人に自分の意見を押しつけようとするのは、そもそも間違いだといえる。暗示を与えて、結論は相手に出させるほうが、よほど利口だ。
著者 デール・カーネギー
議論に勝つことは不可能だ。もし負ければ負けたのだし、たとえ勝ったにしても、やはり負けているのだ。なぜかといえば、仮に相手を徹底的にやっつけたとして、その結果はどうなる? やっつけたほうは大いに気をよくするだろうが、やっつけられたほうは劣等感を持ち、自尊心を傷つけられ、憤慨するだろう。
著者 デール・カーネギー
(私は)相手が明らかに間違ったことを主張しても、すぐそれに反対し、相手の誤りを指摘することをやめた。そして、「なるほどそういう場合もあるだろうが、しかしこの場合は、少し事情が違うように思われるのだが……」というぐあいに切り出すことにした。
著者 デール・カーネギー
苦難に苦難を重ね、自分自身の力の限界に達すると、私たちの多くは絶望して神にすがる。
著者 デール・カーネギー
私たちが敵に憎しみを感じると、むしろ自分自身が敵に支配されることになる。そしてその支配力は私たちの睡眠・食欲・血圧・健康・幸福にまで及んでくる。
著者 デール・カーネギー
憎しみは、ほかのどんなものよりもエネルギーを消耗する。その消耗のひどさは、重労働よりも、病気よりも、ちゃんと理由があって心配する場合よりも、はるかにはなはだしい。だから憎しみの炎が自分の体の中へ入ってきたら、すぐさま消すことだ。その代わりに美しい考えを入れてやろう。われわれの精力は神から授かった貴重なものだから、価値のあるものだけに費やさねばならぬ。
著者 デール・カーネギー
自分の長所、欲求を忘れて、他人の長所を考えようではないか。そうすれば、お世辞などはまったく無用になる。嘘でない心からの賞讃を与えよう。心から賛成し、惜しみなく賛辞を与えよう。相手は、それを、心の奥深くしまい込んで、終生忘れないだろう──与えた本人が忘れても、受けた相手は、いつまでも忘れないでいつくしむだろう。
著者 デール・カーネギー
まず相手の長所をほめる。それから徐々に相手の欠点を教えてやればよい。この方法を用いれば、会社、工場、家庭で効果があり、妻に対して、子供に対して、両親に対して、ほとんど世界中の人間に対して効果がある。
著者 デール・カーネギー
事態を好転させるチャンスがある限り戦うべきだ。けれども、常識で判断してもはや万事休すとなれば、「悪あがきをしたり逆転を望んだりしない」ことが正気の沙汰というものだ。
著者 デール・カーネギー
たいていの者にありがちな問題は、せっかくこちらへ向かってくるチャンスに、目を閉じてしまっていることだ。チャンスを自分で探し求める者はごくまれだし、チャンスを見逃して痛い目に合ってもまだ目を閉じている者が多すぎる。
著者 デール・カーネギー
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